兵庫県知事選挙と民主主義? (前編)

本日2024年11月17日に兵庫県知事選挙が行われました。そして投票締め切り時間を待ち構えていたかのように、一部のマスコミが前知事の「当選確実」を報道しました。この選挙は、パワハラ等の疑惑をかかえた前知事に対して兵庫県の議会が全会一致で不信任決議をしたことをうけたものです。

県民の代表である議会が全会一致で不信任とした人を、県民がふただび知事に選ぶ。なぜそんな不思議とも思えることが起きたのか。マスコミなどでさっそくいろいろなことが語られています。

特に、SNSを利用した情報戦が勝敗を大きく左右したと言われます。SNSは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」の略で、インターネットを利用して誰でも簡単に情報発信などができる「道具」です。何がSNSに含まれるか議論もあるようですが、Instagram、X(旧Twitter)、Facebook、YouTube、TikTokそしてLINEといったものがあげられます。特に若い人たちを中心に日常生活に不可欠の一部になっています。今回の知事選では、このSNSで事実がゆがんで伝えられて、それを信じた「大衆」が投票をした。そういったことがつぶやかれています。

そこには、「民主主義は、正しい情報を土台にしてはじめて、正常に機能する」、「不当な情報操作は民主主義の危機や崩壊をもたらす」という、教科書的な公式があります。

確かに、今回の知事選挙の結果には、簡単にしぼりこむことができないいろいろな力学が働いているように思われます。そして、上記のSNSの話しも、上記の民主主義の公式も、もちろん「間違い」とは言いきれません。

ただ、SNSの話しで言うなら、一方で、多くのマスコミがある時期、前知事のスキャンダルを集中砲火のようにして報道していたことも事実です。それが多くの「大衆」の注目をひいて、前知事を見る目に強い影響を与えていました。まだ議会の調査の正式結果が出ていないにもかかわらずです。実は、この正式結果は、今もまだ出てません。ある意味、今回のSNSでの動きは、そのマスコミの報道に対する反動のようにも見えます。大きな力がかたよって働くと、必ず、その逆の力が生じます。寄せては返す波のように。

また、「SNSの誤った情報におどらされた(あるいはそれにお祭りのように参加した)大衆」というとらえ方は、「おろかな大衆」というイメージを暗に前提にします。確かに「情報におどらされた」部分もあったでしょう。しかし、このようなイメージに基づくこのようなとらえ方がシンプルに成り立つほど、兵庫県民は「おろかな人々」なのでしょうか。私は、このとらえ方そのものが、「善と悪」・「光と影」といったわかりやすさに似た、底の浅いものに思えてしまいます。

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