大統領選挙と知事選挙ではたしたマスコミの役割

以前の投稿で、大統領選挙と兵庫県の知事選挙について書きました。
どちらもマスコミが大々的に報道しました。
しかし選挙の結果は、おおもとのマスコミの予想と違いました。

言論の自由は、民主主義の土台と言われます。
マスコミの報道の自由は、それを支えます。
果たして、現在のマスコミは、民主主義の土台になれているのでしょうか?

この点、考えだすとキリがありません。
マスコミが世論を操作しているのではないかといった「陰謀論」も出かねません。
そこまでいかなくても、現代社会の中で、はたしてどうなのでしょうか?
現在のマスコミは、民衆の実情や意思を十分にくみとれているのでしょうか?

そもそも「報道」の第一の役割は、事実をありのままに伝えることです。
事実を伝えることを邪魔しない範囲で意見を述べます。
ありのままの事実が何なのか民衆がわからなくなるようなものは、報道ではありません。
報道の形と影響力を借りて、自分の意見を押しつけることは、もってのほかです。
それは民主主義の土台になるどころか、民主主義をおおもとからゆがめてしまいます。
現在のマスコミは、そもそも報道していると言えるのでしょうか?

サイコロのイチの目は、その部分だけを見ると丸に見えます。
より広くイチの目が書かれた面を見ると、四角に見えます。
サイコロ全体を見ると、立方体に見えます。
はたしてマスコミは、どこまで広い(深い)視点でとらえているのでしょうか?
社会の現実、民衆の実状や意思といった「サイコロ」を・・・

こうしたことを、民衆はびん感に肌で感じます。
それにストレートに反応します。

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