前回は、「国」について考えるときには力関係がベースにあることをつきとめました。
そして、AとBだけで見るとBが強くても、まわりのみんながAに味方するとAが強くなることを指摘しました。
しかし、そうなるとBの立場はどうなるのでしょうか?
なぜ、みんなは、力が弱いAの方に味方するのでしょうか?
みんなは、同じ理由でAに味方しているのでしょうか?
その「理由」は「正しい」ものなのでしょうか?
そもそも「正しい」とはどういうことなのでしょうか?
「正しい」かどうかは誰がどうやって決めるのでしょうか?
「正しく」なければ味方してはいけないのでしょうか?
このように考えていくと、「国」かどうかを判断することが、そもそもとてもあいまいで難しいことがわかってきます。だからと言って「難しいから判断しない」というわけにはいきません。どんなに難しくても結論を出さなければいけないこともあります。
ただ、「とても難しい」と思いながら結論を出すのか、深く考えずに結論を出すのかでは大きな違いがあります。
場合によっては、「結論を出しすぎない」思いやりも必要かもしれません。
このようなことは、「国」かどうかを判断する以外にも、いろいろな場面で当てはまるように思います。
むしろ、人間関係などが関わってくる問題の場合、ほとんどがそうなのではないかとさえ思えます。
そのような視点でとらえると、「台湾」の問題が、ますます「身近」に感じられます。
つまり、「とても難しい」と言うことを意識しながら結論を出す。
そうすると、責任感も高まります。慎重にきめ細かく検討しようという気持ちになります。
そして、ときには結論を出しすぎない思いやりを持つ。
そういったことの重要さを、自分の行いに置きかえてしみじみ考えさせられるという意味での「身近さ」です。