前回は、「賃金」こそが「労働とは何か」を考える際の重要なカギであること。「賃金とは何か?」への答えが、そのまま「労働とは何か?」への答えにつながることを述べました。
この点、使用者には「労働者の生活と人生をあずかっていることへの責任」があります。「賃金」は、この「責任」を果たす意味を持ちます。この「責任」を土台にして支払われます。さらに、この責任の上に、仕事の結果への評価を上乗せします。これが本当の成果主義です。このあたりは、「賃金とは」の投稿で考えたとおりです。
そうだとすると、「労働」とは何か。「労働」とは、「使用者に自分(労働者)の生活と人生をあずけるような働き方」ということになります。そのような内容の契約(使用者と労働者の合意=約束)が「労働契約」です。もちろん、契約書のタイトルなどではなく中身で判断します。
これにより、一方では、使用者に、「労働者の生活と人生に影響を与える」権限が認められます。しかし、それはもちろん奴隷にすることではありません。同時に、使用者は、その権限を、労働者の心身の安全はもちろん、名誉・プライバシーその他の個人の尊厳を害しない範囲で、あくまで合理的に慎重に行使する責任を負います。他人の生活と人生をあずかっているわけですから、慎重でなければなりません。
言い換えると、広く一般的に「働く」ということのうち、使用者がこの権限と責任を持つものが「労働」ということになります。「労働」そのものの内容が、どのくらい支配従属的かとか、日ごろどのくらい使用者の指揮監督を受けているかとか、逆にどのくらい自分の判断で自由に仕事ができるかとかは、重要ではありません。自分の判断で自由に仕事をする人でも、自分の生活と人生を会社にあずけることはできます。